街はクリスマス、そしてミレ二アム気分も最高潮に盛り上がりを見せていた1999年12月1日、一人の実力派ヴォーカリストがデビューした。彼女の名前はshela(シェラ)。
透明感溢れる中に何処か刹那さをたたえたヴォーカルに、元SPEEDのプロデューサーである伊秩氏に「自然に心のポケットに入ってくる雰囲気があり、勇気を与えてくれるスパイスがまじっていて、positiveになれる」と言わしめた。
 
 これは、まだ歌手を夢見ていた当時18才だったshelaのサクセス・ストーリー。

 プロデューサー周防彰悟氏とshelaの出会いは、必然という運命の中で偶然で、ある意味劇的なものであった。レコード会社に送られてくる数えきれない程のカセットテープの山...。
そんなステレオ・セットの前でスタッフと音楽談義に華を咲かせていた現プロデューサーである周防氏が何気なく手にとったテープをカセット・デッキにセットした。短くも長くも感じられる沈黙。−そして互いに充実感にも似た共通の想いを秘め、目を輝かせた2人がそこにいた。
 周防氏は彼女の所在確認に奔走し、旧知の仲であったT2ya氏にこのテープについて話をした。T2ya氏は、デモテープを聴いて即、楽曲の依頼を快諾し、ここに三人それぞれの、そして共通の大きな"夢"に向かっての第一歩が記されたのであった。

 そのヴォーカルの透明感と、どんな楽曲でも歌いこなせる実力からか、『白』く輝くダイアモンドの原石ともいえるshelaのデビュー・マキシ・シングル『White』は完成され、shelaのサクセスストーリーの第1幕は始まったのである。