先の大戦より20年が経過した昭和42年(1967年)、復興への希望、高度経済成長のパワーみなぎる日本。創立者である菅 幸雄先生は、建学の精神を「産学一致」とし、日本文理大学の前身である大分工業大学を大分市に開学しました。開学当時は、急速に発展していく都市部と、発展の活力が届いていない地方の差が顕著であった時代。それを打破するためには、教育の力で格差を埋める必要があると考え、アカデミズムである「理論重視」の学問だけではなく、実社会での応用が可能な「実践」を融合した学問を提唱。地方都市・大分の未来を担う若者の育成の柱として「産学一致」という教育思想を掲げました。昭和57年(1982年)に、大分工業大学から日本文理大学へと改称した後も、その精神は確かに受け継がれています。
創立40年を迎えた頃、教育・研究に加えて、大学に社会貢献が強く求められるようになりました。そこで生まれたのが、建学の精神「産学一致」に「人間力の育成」「社会・地域貢献」を加えた教育理念。その理念に沿って「地域を学びのフィールドにした人間力教育」を実践することで、学生は「社会の一員としての意識の芽生え」と「地域の課題を他人ごとにせず、自ら行動する力」を身に付けました。
本学では、日本の将来を担う若者にとって、社会的、職業的な自立を図るために必要な基礎能力を培うことは欠かせないと考えています。社会に送り出す大学の責任として「自分が存在する意味を考え、肯定的な答えを導き出す力」を重視。大学と地域社会との連携を強化し、世界を見つめ、地域で輝くグローカリストの育成に取り組んでいます。